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3.11は終わらない

4年前私が3月11日にFacebook
にUPした長文です。
やっとこの頃、文字に出来たのだと
思います。
………………
5年前の3.11、私はあの時
麻布十番にいた。
商店街のガラス窓が割れて人々が出て
来て街中が人で溢れ騒然となった。

 

帰宅したら部屋中CDが散乱していた。
ニュースでは同じことばかり。
マーケットは空っぽ。
飲み水も乾電池も全て売り切れ。
何軒回っても同じ。
何が起こったのか ろくにわからないまま
生活出来なくなる焦りだけ感じた。
それが段々と、とんでもない事が起きていた
とすぐわかるとツイッターでの頻繁な削除を
知り怒りに変わった。
現地に公的に入ろうと所属団体に
問い合わせて、その返答に驚き、民間の
パワーの信頼出来る所を探す努力を
始めたのもこの頃。
あまりに悲しくて悔しくて、
心のやり場がなくて
『それでも明日はくる』という曲を
泣きながら書いた。
超絶望ソング。
これ以上頑張れない状態の方達に
頑張れ!とか応援ソングを歌う人達が
理解出来なかった。
せめて心の吐き出し やりきれない
心に寄り添える音楽で慰問する方達に
共鳴していた。
素晴らしいことだと思った。
私は自分の微力さに情けないと
思いつつ、個人の生きようとする
気持ち、情報を選択する権利、意志を
思い知らされた。

 

自分の人生は自分で選択しているという
実にシンプルな原点に戻された
のだった。

 

実際の津波被災地の他、津波被災と
されながら放射能で召され未だに
弔うことも不可能な方達を思うと
胸が締めつけられる。

 

そして未来を担う若者が健康な子孫を
残せる状態でなくなっている現在に
本当に作為的な怒りと、ある人達の
勝手な政策にある種の畏れを感じている。

 

これを契機に30年以上もやめていた
音楽に復帰することにした。
また初心に戻りコツコツ音源を創り
今度は まともなスタッフと
やることにした。
私は器用ではない。
媚びることも下手。
ひたすら情にもろい欠点もある。
そして皮肉屋で毒舌でもある。
3.11.大きく人生が変わった日。
沢山の被災者をおもい
黙祷を捧げます。(抜粋)

 

………………
そして、それから4年経った今日
さらに複雑な気分になっています。
どこを見ても、出かけても
コロナ…コロナ…

 

9年前の3.11の時も目に見えない
危険な物に私達は悩まされ不安に
脅かされていました。
放射能、情報の真偽、考えや
受け取り方による人間同士の摩擦、
何が大切なのかを一斉に忘れてしまった
かのような状況が繰り広げられました。

 

全て、それらは目に見えない物ばかり。

 

少し前、映画とドラマを観ました。
『チェルノブイリ』です。
映画もドラマも壮絶でした。
ドラマは、あのGOTのHBOが制作した
だけあって実にリアルでショックな
内容でした。

 

報道されている福島の状態がどこまで
本当で嘘なのかわかりません。
しかし、チェルノブイリでは こんな
対策を取ったという事実を知ると
放射能の怖さを、もっともっと浸透
させるべきなのに私達の国は逆の事を
やっているのは周知の事実です。

 

地震の多い日本…
それでも日本人は素晴らしい伝統と
誇れる作品、文化、気質を
培ってきました。
ただし、そこには放射能は含まれません。
ドラマ『チェルノブイリ』では
被災したペット達まで政府の人が
半ベソ状態で処分するシーンが
出てきて思わず涙してしまいます。
福島は どうなのでしょう…

 

動画で被災ペット達が残された後
餌を貰って寒さにも負けず元気な
様子が載っていました。
多分、人間と同じように身体を
壊してこの動画に登場する一部の
犬猫になれなかった子達は多いと
思います。
それでも元気に食べたり走ったり
している姿は嬉しくなります。
私が自分で数値を測って見ている
わけではないので何とも言えません。

 

コロナがペットにも移るとか
そんな変な記事を見つけた時
とても嫌な気分になりました。
3.11から9年経った今
日本は、あの時以上に異様で危険な
雰囲気でいっぱいです。
高齢者、基礎疾患のある方達への
感染は勿論ですが国民が飢えて
生活できなくならない為の対策が
「緊急事態宣言」だとしたら
私達は国が崩壊していくのを
ただ見ているだけになるかと思います。
この季節 沖縄は暖かい日が続き
花はいっそうビビットになります。
玄関を出るとハイビスカス。

ゴミ置き場の周囲はブーゲンビリア。

何事も起きていないがごとく花は
そこに咲いています。
人々の声や思いが届きますように…
美しくなってきた夕焼けを
潰れるような心で見なくて
済みますように…