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祝・「音楽のある人生」

2月16日は紫の結成50周年記念ライヴ
でした。
沖縄県さわやか介護連絡会チャリティー
ライヴでゲストも豪華でした。
我が家は本土から家族も来て
ハッピーな時間を持つことができました。

 

50年って半世紀です。
気の遠くなる年月です。
私が紫を知ったのは本土デビューが
1976年なので、ミュージックライフ誌
国内人気部門で第1位を取った頃というと
結成後6年後ということになります。
多感な文学少女の私が変わった両親の
元で、せっせと隠れて色々な事を
求め、自分を密かに形成していった
時期でもあります。
クラシックピアノだけの世界だった
私が最初に出会ったのはELPでした。
ほぼ同時にピンク・フロイド、
パープル、イエスと入って行った
記憶があります。
遥か昔、自分が聴いて
いいなぁと感じたバンドが
その50年後に周年ライヴをやって
そこに自分が行けるなんて
想像できたでしょうか?
素晴らしいと思ったのは
この高齢化社会でバリバリの
ハードロックバンドの紫の
50周年記念ライヴの主催が
沖縄県さわやか介護連絡会
チャリティーライヴという内容
だったことです。
ゲストも勢いよくLino.さんが
オープニングアクトをつとめ
太陽みたいなDIAMANTESの
アルベルト城間さん、
テノール歌手のご高齢とは
思えない歌声の大井学さん、
しゃかりのチアキさん、
インストのグループで音楽の
楽しさを見せてくれた
Conjunt Alegriaさん、
ひょうきんで面白い沖縄に来て
知ったジョニー宜野湾さん、
そして古謝美佐子さんという
沖縄ならではの豪華さでした。
いやぁ、本当に古謝美佐子さんの
インパクトは凄かったです。
『童神』を三線で歌っておられる
姿は神々しく見えました。
豊かな銀髪が膝近くまであって
三線と歌が心を揺すり、
全身から放たれる空気が異空間を
生んでいました。
普通に考えても古謝美佐子さんと
紫って結びつきませんでした。

 

まさか、まさかの事がありました。
紫のライヴが始まって盛り上がって
来たら、何と!
古謝美佐子さんが客席の最前列に
いらしていてヴォーカルのJJさんの
前でスーパーロングヘアーを両手で
すくってブンブン振り回して
ヘドバンをなさっていたのです。

あの神々しい「神」が「髪」に…

あんなにハッチャケているお姿を
拝見する機会なんて、そう無いと
思います。
今回のライヴレポートを書いたら
長文になってしまいます。
軽々しく「音楽のある人生」なんて
銘打つことはできません。
その時その時の積み重ねが歴史を
作り、人間の喜怒哀楽や時代の重さ
背負っている日常を踏ん張り、
そんな時間軸に音楽があって
そこを経てきて「音楽のある人生」
と銘打てると思います。
その人、その人に背景があって歴史が
あるように音楽にもあります。
沖縄ならではの歌があります。
ジョージ紫さんは、頭からずっと演奏して
いらしたのに終わった後も元気一杯でした。
新譜を作るとおっしゃっていたので
楽しみです。
へこたれちゃうような事
四面楚歌になる時
涙も出ない時
絶望しかなくなる時
自分の生き方を考えさせられる時
不条理と不公平の総攻撃に遭った時
私達は立ち止まった方がいいのか
ひたすらもがき続けた方がいいのか
諦めて更にした方がいいのか
頭を悩ませます。
色々な局面を何度繰り返しても
時計は容赦なく針を進めています。

 

でもね……
目の前で、こんなライヴが行われて
いたら時の流れって凄いと思います。
沖縄って芸能の島よぉ
と言っていた人がいました。
踊りがあって
民謡があって
熱いロックがあります。
よく「なんくるないさー」と
耳にします。
「何とかなるよ」という楽観主義
的意味合いかと思いしや
「めげないで正しく努力すれば
いつか良い日がくる」という
深い意味があります。
好きな言葉の一つです。
音楽とは色々な関わり方があります。
心にも生活にも音楽はプラスαを
与えてくれます。
私はあえて、
恵まれている人は、それなりに
恵まれていない人も、それなりに
と書きます。
結成50周年で変わらぬ爆音で
迫力あるステージが、どれだけ
リスナーに多くのパワーと喜びを
与えているかと思います。
素晴らしいライヴに乾杯!
心の持ち方で人生は変わる。

 

ハイビスカスとブーゲンビリアが
一年中咲きほこる島は
明るく強く、誇り高いと
音楽を通して感じます。