· 

沖縄ロック

首里城全焼という衝撃的なことが
あって、11月に突入しました。
全焼のニュースの翌日、東京から
電話がありました。
私の実家からで、
「首里城全焼で沖縄は大変なことに
なっています。皆さんは募金を
熱心に行っていますので是非 ご協力を」
という人が家に来たという内容でした。
懸念する人達がたくさんいました。
やはり この手のことが起きている
のですね。
募金先は慎重にと思います。
で、11月は1〜3日まで沖縄県の
コザ(現・沖縄市)にあるライヴハウス
7TH HEAVENの19周年の記念ライヴが
行われていました。

 

そう…私は よく言っていますが
多感な思春期の時、息苦しい家庭環境
の中で、またしても親に隠れてやって
いた行為の中にロックを聴くというのが
ありました。
ラジオにイアフォンを付けて部屋に
籠もって聴く。
録音しておいて深夜聴く…。
洋楽は勿論ですが、『紫』というバンドは
当時の私には同次元の存在でした。
「沖縄」という場所が、遥か遠くで
紫を聴いた時、生理的に憧れが
育っていくのが わかりました。

 

たまたま親の居ない時、TVで
『コンディション・グリーン』や
『マリー with・メデューサ』をみて
興味は沖縄のロックにいきました。
ラジオでは渋谷陽一氏の番組を
欠かさず聴いていました。
私は東京タワーのふもとの地域で生まれ
育ち、生まれた病院から半径500mの
中を引っ越していました。
情報遮断の環境で育つと感覚で
受け取ります。
毎日 毎日 クラシックピアノの
お稽古でしたからロックとは
距離がありました。
その距離をなくしたのがELPの
「展覧会の絵」を友達が耳コピして
譜面を送ってきた時からです。
紫に辿り着くのは早かったです。
いつか生で紫を聴くんだ!
なんて思いを強く持つようになりました。
そして妙なことから自分が音楽をやる事に
なった時、当時 元アミューズ社長Y氏が
渋谷のライヴハウスに連れて行って
くれました。
生まれて初めてライヴハウスに行ったので
インパクトがありました。
そこでは 何と!
紫のドラムのCHIBIさんが
ツェッペリンの「移民の歌」を
歌っていました。
カーリーヘアーのCHIBIさんの歌は
物凄く迫力があってパワフルで
上手くて最高でした。
後に ご本人に その話をしたら、
「あの時期だったら サンディエゴで
東京に行っていたと思うよ」
と おっしゃっていました。
その後 私はEPIC SONYからデビュー
になって、物事って何があるか
わからないものだと思うように
なっていました。
その後も 胸の中は いつか紫を
生で目の前で見て、あのサウンドに
触れたいという思いを持ち続けました。

 

本来 諦めることに慣れている私ですが
この思いだけは抱いたままでした。
その思いが通じたのか、
諸々が整って私は沖縄に住むことが
できました。
沖縄の隅に慎ましく、沖縄を大切に思って
暮らすという願いが叶い、
『紫』のライヴに行けるという…

 

その紫のリーダーのジョージ・紫さんの
ご子息達のライヴハウスが
この写真の7TH HEAVENです。
本土では味わえない本格的なライヴハウス
という感じです。
私は 沖縄に引っ越す前は ベックのライヴ
に欠かさず行ったり、知り合いのおかげで
いつも いい席で外国ミュージシャンの
ライヴをみてきました。
確かに感動は大きかったのですが、
沖縄に来て初めて、再結成後とはいえ
紫のライヴに行った時は
ここの至るまでの経緯を思い
感無量でした。

 

「パワー」「ダイナミックス」「自由」
と、私にとっての象徴でした。
今 あんなにカッコいいハモンドを
聴けるなんて、考えられます?
サンプリングのハモンドの音はあっても
本物のハモンドです。
卓越した感性とテクニックで
骨太のサウンドを厚くします。

 

最終日の昨日、また紫のライヴを
みれて、またしても感動しているのでした。
ジョージさんのキーボードは
シンフォニックメタルというより
北欧のプログレ、クラシックを感じさせる
完成した圧巻の一言です。
あの頃 カーリーヘアーだった
CHIBIさんもふくよかになったものの
ヴォーカルも健在です。凄いです。
あんなにドラムを叩きながら
どうして音程よく、素晴らしく歌えるのか
不思議です。
これだけサウンドが どっしりすると
音楽を聴くというより、身体で体感する
といった方が的確かと思います。
ベースの安定感も抜群です。
安心して身を任せられる素晴らしさです。
サウンドにヴォーカルもピッタリで、
ツインギターも さすがです。
私は自分が どんどん少女に戻るのを
感じます。
少女に戻って…さらに 時間が戻って…
終わって、またまたジョージさんとパチリ。
ほとんどミーハーな十代の少女です。
ちと恥ずかしいです…
どこが こんなにカチっとハマったのか
自分でもわかりません。
あ…普段は もっと ちゃんとした顔
しています。
沖縄のロックは、その背景を知ると
本土と違って聴こえた理由を
理解できます。
何も知らなかった時に、その背後にある
壮絶な時代の真っ只中で生まれた音の
切実さや大きな意味を
多感だったからこそ感じることが
できたのだと痛感します。
沖縄にいらっしゃる事があったら
是非 このカッコいいライヴハウス
を予定に入れるといいと思います。
ロック好きには たまりません…