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それでも明日は来る③

那覇港に着いてホッとし、

新居に着いて荷物に唖然…

 

先に荷物の段ボールが届いて

いたので、引越し屋さんに

頼んだ分と

後からゆうパックで

何回か送った荷物が

全部置いてあるのを

見て、ビックリ。

 

自分の荷物くらい把握

しておけよと

突っ込みを入れたくなる

Nachikoです。

 

生まれてから狭い東京の

港区エリアしか引っ越しを

したことがなかったので、

その要領の悪さは自慢できます。

 

家具くらい置く場所の

寸法をキチンとはかれよ!

 

壁と天井の間の梁とか

全く寸法をはかっていなくて

置けない家具がゾロゾロ…

 

まずは寝る場所作りから。

 

段ボールに囲まれた空間で

犬猫達を広いゲージに

移したら、どーでもよくなって

しまいました。

 

屋根があって壁があって

床があれば、まっ いいか。

 

この姿勢は治せません。

 

それでも、段ボールを空に

するように心がけました。

 

何かがあって知る己の性格って

やつでしょうか。

 

実にアバウト。

 

沖縄まで来た相棒は

私を「無神経質」と言って

笑っていました。

 

これって「無神経」と

「神経質」が同居している

訳のわからない人の意味だって。

 

いいもん。

段ボールが うず高く積まれて

いても、

足の踏場がないほど

置いてあっても、

「それでも明日はくる!」

 

私は段ボールを片目に

ひょんな事から誘われて

「騙されたと思って行ってみー」

という言葉に東京にいたら

絶対行けなかっただろうと思える

場所に行きました。

 

それは〝ラフターヨガ〟

 

???????

別名〝笑いヨガ〟

 

それこそ言われるがまま参加し、

やってみました。

 

初めに手拍子しながら

深呼吸して、

「はっはっはっ」と声を出し

無理矢理笑うって感じから

スタートします。

 

手拍子しながら

「はっはっはっ」と何度か言って

最後に

「やったーやったー、いえーい」

とか 沖縄なので

「じょうとーじょうとーいえーい」

って両手を大きく上げます。

 

その後が、さらに「ほぇ?」と

なる展開でした。

 

子供のように無造作に部屋中

作り笑いしながら走ったり、

架空のシチュエーション

想像して色々な動作を

します。

 

ホントに笑うって大変な事だと

痛感します。

指導者がリードしてくれても

違和感満載でしたが

途中から楽しくなりました。

 

相性もあるのかもしれません。

私は ここで素敵な方達と

出会えました。

 

何度も「じょーとーじょーとー

いえーい」と騒いでいるうち、

恥ずかしい気持ちが薄くなります。

 

どうもコレって、どうなってるの?

という気分になりました。

脳が笑いに対して

作り笑いも本当の笑いも

区別がつかないという話が

この不思議な感覚の効果に

関係していると思います。

 

笑う時は深呼吸をして

息を吐きながら動作も加えて

笑うというのがいいみたいです。

 

とにかく深呼吸です。

 

これは1995年にインドの

医師のマダン・カタリアという

人が発見し、ヨガをよく

知っている奥さんの

マヂュリー・カタリアと

一緒になって初めは

公園で5人から

始めたそうです。

 

その後 世界各国に広まって

現在では約100ヶ国以上の

国々で行われているそうです。

 

瞑想、呼吸法、ストレッチ

色々教えて貰いました。

 

新居に帰れば段ボールの山

なのに、私は相棒も巻き込み

おかしくないのに大声で

深呼吸しながら笑うという

この時間が好きになりました。

 

家では瞑想、ストレッチを

欠かさず行い

はむ呼吸、片鼻呼吸、腹式呼吸と

日課にしました。

 

新しく引っ越して来た場所で

素敵な方達と知り合い、

大地や空からの自然なエネルギーを

受け取れるように瞑想する。

 

並行して、やっと自由に

音楽をやれると喜びながら

東京へ行き来し、

翌年には念願のレコーディング。

 

リリース日も決まり、

3曲だけ先行配信。

 

あちこちに咲くハイビスカスを

いちいち写真を撮り、

家にもハイビスカスの鉢を

幾つも置くようになりました。

 

赤、黄色のハイビスカスの他に

こんな色のハイビスカスも。

 

アルバムのリリース予定日を

出した頃…

 

事態は一変しました。

 

相棒が心筋梗塞に…

術後は鼓動が戻りませんでした。

 

祖母との死別以来、

「死」が迫ってくるのを

感じました。

 

大きな手術は心を

凍らせてしまいます。

目の前の風景に紗がかかり、

動いている物が全部

スローモーションに見えました。

 

まるで映画の一場面に

自分がいるみたいで、

実感さえわきませんでした。

 

相棒が命を取り止め

退院して間もなく、

ワンコの中で一番懐いていた

愛犬が召されてしまいました。

 

あまりに深いペットロスのせいか

涙も出ませんでした。

 

感情鈍麻って

ああいう感覚だったのかと

今は 思います。

 

ある一定の感情が

自分のキャパを超えて

一気になだれ込んだと

いうのが適切な表現かと

思います。

 

そこに まだ退院して

そんなに経たない相棒に

さらなる大波が来ました。

 

脳梗塞…腎不全…

 

告知していたアルバムの話は

何処かへ飛んでしまいました。

 

この間 何度も「命」の

儚さと対面しました。

 

「それでも明日は来る」と

信じていた気持ちは崩壊

しました。

 

「明日」は来ないかもしれない…

 

幸福は瞬時と思っていた気持ちに

明日は後悔ない今の結果なら

素直に受け止められる…

なんて考えが加わりました。

 

残酷な明日が来たら

私達は どう受け止めたらいいのか。

 

全てがストップした中、

激変した生活に

私は ひたすら瞑想し

溺れそうになっていました。

 

自分が沖縄に成り行きとはいえ

引っ越してきたのだから

このまま溺れてはいけない、

なんて思っていましたが

たった一人で どうする事も

できないまま時間が

過ぎていきました。

 

相棒の通院帰りに通る

那覇の国際通りの夕焼けも

写真を撮ったものの

何も感じれませんでした。

もう、途中で止まった音楽の作業は

再開不可能と覚悟が固まって

いきました。

 

そんな矢先、このブログを

作って管理してくれている

セルボさんが、背中を押して

下さいました。

 

私は 協力してくれる方が

いることを知り、最初は

あり得ない現実に思えました。

 

何せ、諦める事に慣らされて

きたので いつも目の前には

八方塞がりの出来事が

立ちふさがっていました。

 

まずは無理せず、HPから

作るということで

このHPを作ってくれました。

 

ここまで来るのに

支えて下さった方達に感謝です。

 

そしてブログを書くことを

スタートさせました。

 

ほとんど出来上がっている音源を

リリースすることや

沖縄に来て受けた感覚を

また 音にしたい…なんて

夢を持てるようになりました。

 

相棒の度重なる大病で

私は それぞれの病気の

苦しさ、大変さを

知りました。

 

どんな時も 現実を受け止めて

凹みながらでも深呼吸。

自分の生活スタイルも流動的に。

 

沖縄は多様な問題を抱えています。

島の隅っこに住まわせて

頂いている身ですが、

抱えている問題の大きさに

愕然とすることが多いです。

 

物差しではかることは

何事でもできませんし、

決して 他と比較しても

いけません。

 

コツコツと書き始めた

私のブログですが、

こんな私を いつか

応援してもいいよなんて

言って下さる方がいらしたら

物凄く嬉しいです。

 

夢を叶えられたらhappyです。

 

「それでも明日は来る③」は

〝明日〟が どんな顔して

やって来るか、わからない

という話でした。

 

やっと よろよろ こうして

立ちあがって歩き始めた

ような私です。

 

自分が存在する以上

何かの役に立ちたいなんて

事も考えています。

 

笑えない状況続きながら、

こんな時こそ 無理矢理笑って

深呼吸をするラフターヨガが

いいのかななんて思います。

 

〝今〟の延長が明日なので

その時、その時を

精一杯ぶつかるしかないと

思っています。

そうすれば〝明日〟が

どんな顔をしていても

乗り切れる率は高くなります。

 

ちょっと重い話で

すみませんでした。

 

次は いつものマイペースの

話を書きます。