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それでも明日は来る①

こんにちは、Nachikoです。

 

今日のタイトル『それでも明日は来る』

は、2011年3月11日の

東日本大震災の後

思わず作っていた歌のタイトルです。

 

地震による液状化を見たのは、

こういう時 何故か状態が気になって

見に行った東京ディズニーランドの

駐車場でした。

 

いちいち入場するのにチケットを買うと

高価なので お金を貯めて

年間パスポートを

購入していた時期でもあります。

 

何と言っても ここはMr.NO夫妻が

嫌っていたので

私には最高の避難所でした。

家を抜け出し、回数多く行けば行く

ほど年間パスポートの値段を消化

して得した気分になりました。

 

つい最近 読んだ記事で

ディズニーランドの年間パスポートに

ついて書いてあるのを

読みました。

 

週に一度行くだけでも

お得感満載になるという

内容でした。

 

ヲタクの領域かもしれませんが

パークへ暇をみては

通うことは、季節の移り変わりを

感じ、ワクワクして

心地の良いものでした。

 

震災後はアトラクションも動かず、

閑散としていましたが いつもは並ぶ

ミッキー達が 広間に出て来てくれて

ハグしてくれました。

 

いつもなら ピグレットにハグして

もらい、そのモフモフ感に

うっとりするのですが、

ミッキーもミニーも私には

アイドルなので

すぐそばに居てくれるだけで

嬉しかったです。

 

こんな事 書くと、幾つ?なんて

思われるかもしれませんが、

1日の中で合間を縫って、

閉園直前であろうと シンデレラ城を

見て、浦安の潮風に吹かれるのは

一番のガス抜きでした。

 

まぁ、そんな日々は続くわけもなく

時は流れ、東京オリンピックが

近づいてきました。

 

平和に感じるのは、いつも瞬時です。

その瞬時が どれくらい連続するかが

未定なのが世の常でもあります。

 

私の生息する所は 都市計画うんちゃらで

建ぺい率も変わり、ボコボコと

ビル建設ラッシュに…。

 

夏になると蝉も鳴いていたのに 

周囲はビルと空き地、建設現場

ばかりになりました。

 

空も さらに小さな四角でしか

見れなくなって、

夕焼けを眺めた幼い頃と

別の視界になりました。

 

ご近所の高齢者は救急車が来る度、

減っていきました。

 

知らない店が出来ては変わり、

いつのまにか 知らなかった物が

名物になっていたり…。

 

自分は この狭い街で 泣き笑いして

過ごしてきました。

諦めることに慣れていると

思っていましたから、

多くを望まないと決めていました。

 

ここで一生過ごすのが

当たり前だとさえ思っていました。

でも…願いは小さいのですが

思いっきり咳やクシャミを

してみたい…

なんて希望の火は消せませんでした。

 

なんせ、私は 咳やクシャミをすると

速攻で病院に放り込まれてしまうので、

咳がしたくなったら

口にタオルか枕を突っ込む

なんてことが日常でした。

 

私の希望は小さいかも

しれませんが、

とにかく 普通に 穏やかに

生活できること。

 

その頃には 私に関わった人達から

強く 脱出を勧められるように

なっていました。

 

散々 悩んで、アレコレ考えました。

ネガティブ思考なので結論なんて

出ません。

 

何が不安なのか…。

書き出したらキリがありません。

行き着いたのは 思考停止。

 

東京以外で なんとなく土地勘が

ある所は沖縄くらい。

 

以前 仕事のCMのキャンペーンで

全国を回ったとはいえ、

マネージャーさんと

一緒だし ずっと昔過ぎてボヤっと

記憶があるだけ。

 

止まった頭は 自分にありえないと

思われる事を妄想し始めます。

 

思春期にラジオにイアフォンつけて

聴いた音楽。

深夜 布団に潜って聴いていた音楽達。

 

洋楽が多かったけれど、その中に

『紫』というバンドがありました。

 

『紫』をリアルタイムで聴いていた時

沖縄は遥か遠い、

それでも日本という未だ見ぬ

自由の世界の象徴でした。

 

洋楽漬けにあって、不思議なほど

パワーを感じ、漠然と沖縄という

地に想いを馳せたものでした。

 

大好きな祖母を看取った時も

明日は来ました。

悲し過ぎて涙も出なくて、ひたすら

ワンコを抱いて、切ない気持ちが

ピークになると毛布を被って、

うずくまって時を

やり過ごしました。

 

あんな悲惨な津波や地震があっても、

それこそ介護していた祖父が戦争の

話をして、その壮絶さを語っても

空の下に満遍なく雪が降るように

明日は やってきました。

 

とりあえず冬 凍死はしないだろう。

雨が降ったら、濡れてもいい。

 

いつも 恐れや 窮屈感のみを

抱えていても一生は一生。

 

幾つものしがらみ、思いに

がんじがらめにされて

朽ちるより、一度でいいから

自分の これからを どんなに

反対されても選択してみよう…

と思いました。

 

目標は〝自由〟。

私の意味する自由って

ハードルが低いかもしれない。

 

でも、憧れでなく 地面に足をつけた

〝自由〟を知るのも、

生きていればこそ。

 

何があったって、

「それでも明日は来る」

のだから。

明日がくると思えるうちに

行動しよう…

 

なんらかの殻から抜けるような感覚と

強く背中を見えない力で押される感覚で

私は 生まれ育った地を発つことに

なりました。

 

まさか こんなタイミングで こんな風に

自分が転がっていくとは…。

 

目指すは沖縄。

 

犬猫達を連れての 大移動が

始りました。

 

そこに至るまでのパワーと

グチャグチャな出来事は

ネガティブ思考を強めました。

 

ネガティブ思考の脳の

ホワイトバーンだと…

 

同級生の獣医の指示で心臓病の老犬、

腹水の溜まっている犬など

3匹の犬と猫の

飛行機を使えない移動を取りました。

 

ここからが またしてもドタドタ。

続きは また明日にします。では 。

 

この写真は私の地元の麻布十番商店街

 


東京タワーは 近くに見えて、車で少し行くとレインボーブリッジでした。

脱出を考えてから しみじみ眺めるようになっていました。