· 

終焉は始まり①

こんにちは。Nachikoです。

このサイトで初めて私を知った方も多いと思います。

そんなことを思って改めて、ご挨拶致します。

 

Nachikoって誰なの?と思われるかと…

乙女座、B型、東京の山手線のど真ん中

(ずっと交通網はバスだけの不便な所)

で生まれて…変わった両親の元で祖母に育てられました。

 

そうそう、私といえば東京タワーでして、

母は私を産むのに大きなお腹で

東京タワーが出来上がっていくのを見ていたそうです。

なので、住まいも東京タワーの近くで 顔を上げると

東京タワーという、兄妹みたなものなのです。

毎晩 夜9時になると鐘が鳴り、

それは 私にとっての消灯の合図でもありました。

 

生まれた病院を中心に半径500メートル以内に生息し、

狭い狭い圧迫感満載の織物に色や柄を付けてきました。

 

性格は多分 超ネガティブなはず…しかし…

それも度が過ぎるとコミカルな発想と

結果になることばかり。

それも悪くないなぁと受け入れ、

どうすることも出来ない現実に逆らわず、

妙な希望も持たずにいました。

 

明日 何があるかわからない…

今は 「今」という点の連続。

「今」を乗り切れば明日に繋がる。

そんな感覚を幼い頃から持って今に至っています。

 

思い通りに物事が進んだことって

経験したことがありません。

多分思い通りにいかないのだろうけど、

素敵な結果になったら多幸感は無限大。

 

その時、その時を一生懸命大切にぶつかって、

へこたれるまでチャレンジする。

無駄に時間が過ぎるだけかもしれない…。

 

何もしないより 何かやっていた方が自分らしい。

 

それって かなり不透明で不安な部分があります。

 

でもね、満足に友達も作らせて貰えない生活を

送ってきた私は、たった一人の人物の登場で

家から外に出る機会、初めて知る世界に

足を踏み入れ生活ががらっと変わりました。

 

何をやるのも「NO」しか出さない私の父を

説得して音楽の世界に引っ張り込んでくれた

ツワモノが登場したのでした。

 

今は元アミューズの社長さんのYさんと

書けばよろしいでしょうか。

 

その後の経緯は 当事者の私は知りませんが、

あの頑固で厳しくて怖い父に、

私が音楽をやることを納得させるという、

ありえない出来事が起きたので、

その後 私はEpicソニーからデビューできました。

 

私に音楽をやる機会を与えて下さり、

本当に感謝しています。

 

それまではピアノの先生しかり、学校の担任しかり、

何人もの人達が意見を言って下さったのに

全て撃沈していました。

 

全曲オリジナル曲だったのは

当時 人の歌を歌ったことがなく、

コピーもしたことがなかったことが

大きいかと思います。

 

当時は 顔を出さないのがオシャレ、

みたいな風潮がありメディアに出さないという方針でした。

 

これって 引っ込み思案の私には有り難かったです。

ただ 当時 六本木にピットインという

ライブハウスがあって、初めてワンマンを

やった時、会場の後ろに居て、

お客様が入るかなぁーなんて見ていたら

目の前に数人のグループがいて

「Nachikoって どんな顔してるんだろうね。

人前に出れないほどブスなんだぜ。」とか

笑いながら話しているのを見て、

うーん 人並みって今日ライブ観たら

思ってくれたらいいな、

なんて思ったことがありました。

 

顔も名も知られず、山手線のど真ん中に生息する私は

成すがまま、成るがまま、

ドタバタと過ごしてきました。

 

初めて、ここで私を知った方。

 

こんなにアホな奴がいたのかと

呆れることもあると思いますが、

それでもネガティブパワー大噴射で、

こんな風にブログを書いていますので、

何を基準に物事を考えたらいいかの物差しは

捨てた方がいいと思います。

 

以前は今は閉鎖されていますが、

それなりのサイトを管理していまして、

その後 ブログのあるサイトも持っていましたが

そこのサーバーの都合で

消えてしまうということもあったので、

もう サイトオープンは無理!と

決め込んでいました。

 

そんな私に 今回協力して

このサイトの管理運営のお世話をして

下さっている歩く希少な善意の塊的お人に

「ありがとうございます」と

書かせて下さい。

 

今日は この辺で。

(写真は多分母が私を生む時 見ていただろうと

思われる東京タワーです。)